実兄(A35AF)が
トンガ王国のババウ島へ移住ししたのが1973年。私達は1974年12月27日に正月休暇を利用して初のDX(海外)ペディションを計画しました。
私(JA1SWL)と元木(JH1AHR)さん、内田(JG1LQB)さんの3人は羽田空港から南太平洋にあるトンガ王国へ出発しました。
羽田空港のチェック・イン・カウンターで無線機やSSTVの付加装置などの
荷物が200キロ以上もあり、オーバーチャージ料金を請求され、前途多難な予感がする旅立ちとなりました。
その悪い予感がみごと適中し、オ−ストラリアのメルボルン空港経由して、ニュ−ジーランドのオ−クランド空港に着いた時には、途中、飛行機が5時間も遅れていたため、トンガ・ヌクアロファ行きの便は3時間前に出発した後でした。次ぎの便は3日後ということになってしまいました。そこで、エアーニュージーランド航空に費用を持ってもらいオ−クランドで3日間の時間をつぶし、12月31日夕方トンガ・ヌクアロファに入国しました。
入国時の税関でも、200キロ以上の無線機等の荷物ということで50パーセントの関税を架けられ、荷物はその日に受け取れませんでした。
日本より3時間早い1975年の新年を迎え、その日の朝T&Tへ行きましたが、正月休暇のため免許状をもらませんでした。ババウ島へ行く
飛行機は「今日は行くけれども明日は行くかどうかわからない。」と言われ、慌ててババウ島へ行くため空港へ向かうことにしました。
ババウ空港から兄の家までタクシーが無いため、
乗り合いトラックで行きました。午前中は島内巡りなどの観光や
お土産の買い物をしたり、兄の勤務先のサンフト商会に行ったりしていましたので、交信(QSO)はもっぱら夕方からになってしまったので、局数は余り出来ませんでしたが、楽しいDXペディションの思い出です。
帰りにヌクアロファで再度
T&Tへ行き、私が(A35AI)、元木さんが(A35AH)、内田さんが(A35AJ)の
免許を受け取ることができました。
それからは、
王宮などの観光をしたり、今回税関の件で、大変お世話になった日本人の家族、内田さんの家を訪ねたりしました。後に、内田さんは、日本でアマチュア無線の免許証を取得し、A35HUのコールでON AIRしていました。
移動記は「
CQ ham radio誌」1975年3月号をご覧ください。